写真の修正が若い女性のセルフ・イメージに与える影響について。水着deビフォー&アフター記事、追記。

おお。5日の水着の修正比較を扱った記事、なんだかものすごくたくさんの方が読んでくださったようで、とてもうれしいです。みなさんの反応を見て少し思うところがあったので、言葉を加えようと思います。

今回の比較を実行してみたのは、写真の位置づけについて考えたいなと思ったからです。 正直、わたしは日本でもアメリカでもわたしは修正の恩恵を全面的に受けて仕事をさせていただいてきた身ですし、いつも修正後の出来上がりには「こうきたか!」と感激しながら楽しませていただいています。でも、写真の中の自分の姿に対してそのようにポジティブな気持ちになれたのは、写真からある程度の距離を置くことを覚えてからです。 写真のモデルがキレイ/醜い、さらにはそこで修正が必要/必要ないという判断は、元をたどればすべて同じところ(見る側の美意識、美しさの判断基準)からきていると思うので、被写体のモデル本人の手の届かない所にあると思っています。

モデル本人としての個人的な意見を言えば、修正前後のふたつの写真はまったく別のものという気がします。先の比較の例で言うと、左に写っているのはおなじみの自分で、右はフォトグラファーのアート作品という感じ。修正後の写真は、限りなくリアルに近い肖像画を描いてもらったような気分に近いかもしれません。

写真の修正に対し、最近のアメリカではいろいろな議論がなされています。2年ほど前、14歳の女性が立ち上がり、「大人気雑誌『セブンティーン』 はモデルの写真を修正して現実以上に美しく見せている」と批判、Change.orgで集めた著名を手に修正をやめるよう直談判したことが話題になりました。しかも彼女の主張は通りました。セブンティーン側は、今後は女性たちの身体や顔の形を変えないこと、どんな体型かに関わらずすべての美しさを賞賛することを約束し、大きなニュース(参考:CNN)になったのです。他にも、娯楽情報サイトなどでは、「もしディズニーのお姫様たちのウエストラインが現実的だったら」「もし有名絵画の女性たちに現代の修正が施されたら」などなど、工夫を凝らして個人の美意識を問い直す記事をよく目にします。それだけみんなの関心が高くなっているということでしょう。

(とくに)若い女性たちの健全なセルフ・イメージへの影響を考えると、広告や雑誌の写真に見る女性の身体は生身のものとは違うんだ、あれは人間を使ってはいるけど絵画と同じアート作品の一種なんだということを知る機会がもっと日常的にあってもよいとわたしも思います。その点で、先ほどのふたつの例のように、可能な範囲で修正に意識を向けることにも意味があると思います。

ところで、修正されるモデルたちはどう思っているのでしょうか。 修正された彼女たちの身体がそれを見る側に与える影響は頻繁に取り上げられるようになりましたが、モデルたち本人に関する議論は比較的少ないと感じます。そこで、わたしの経験と周りのモデルさんたちの話を元に考えてみたいと思います。

想像してみてください。自分の身体の特定の部分を「修正」されるわけですから、その部分はダメだと言われた気になるのはとっても簡単ですよね。とくに水着のものは親からもらった身体に直接デジタルのメスが入るのでけっこうショックだったりします。

ではショックだったらどうするか。その部分を少しでも修正後の「理想の身体」に近づけるために時間とお金とエナジーを使おうか。キレイになるための商品やサービスは身近に山ほどありますから、選ぶのに苦労はしませんね。 しかし、何度も何度も限りなくリアルなアート作品の一部になってみて気がつくでしょう。自分の身体を「理想の身体」に近づけようとする努力が、どれだけ不可能かつ不自然で、無意味かということに。そもそも「理想の身体」という美しさの判断基準が、商品やサービスを売るために操作された幻想だということに。

周りを見ていると、この努力がエスカレートした結果、摂食障害などの心の病気につながるケースは多いと思われます。これはとても残念です。

病気とまでいかなくとも、写真をアート作品として自分自身と切り離せないことの影響は心に表れるようです。例えば、わたしは以前、どんだけお肉の段があったのか知りませんが、お腹への修正の勢い余っておへそがなくなった写真が出版されてたことがありました。ヘタクソな修正の極端な例です。しかしながら、こういうことにいちいちショックを受けることを繰り返すと、 もはや自分の身体が自分に属するものではないような気になってくると思われます。ますます世間や周りの人の判断基準に流されやすくなり、いつまでたっても自己肯定からくる安定した自信を持つことができないのではないでしょうか。まだナイーブで、テレビや雑誌が売る価値観をそのまま信じてしまいがちな若い世代のみなさんは、こういう悪い影響をとくに受けやすいのではないかと心配です。

お金を生む類いの価値が最優先されがちな資本主義社会の中で、美意識をはじめとする自分にとって当たり前と思っていた判断基準がどこから来ているかを考えることはとても大切だと思います。

今回は修正にフォーカスしましたが、写真に関しては、何をリアルとするか、どこからをフェイクや不自然とするかの判断は、ひとりひとりによって違うと思います。撮影後は、フォトグラファーのさじ加減で光や色やコントラストなどが調整されます。撮影中は、カメラの設定やレンズの種類が選択されます。撮影前にだって、化粧や髪型やポージングに手が加えられない写真はありません。そもそも、土台になるモデルたちが、自分たちの顔の造形を手術で変えたり、無理なダイエットしている可能性だってありますから。

受け取り方は十人十色だと思いますが、もしどなたかが何かを感じて何らかの意見を持ってくださったなら、パーソナルな内容をシェアした身としてはとてもうれしく思います。

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