20ドルのやさしさ

この日は、朝っぱらからキャストもクルーも全員ワゴンに乗って、郊外に移動しての撮影だった。

撮影は順調に進み、出演シーンが早く終わったわたしは、同じく早く終わった女優のクリスティーナと一緒に、みんなよりも先に電車で帰ることになった。スタッフのブランダンに駅まで送ってもらう。

ふたりともこの路線を使うのは初めてであり、郊外とマンハッタンを行き交う路線は複雑なので、ブランダンはルートを念入りに説明し、「GoodLuck!」とさわやかに言って仕事現場に戻っていった。

車を降りると、券売機に直行だ。電車に遅れたくない。隣のクリスティーナはちゃっちゃとモニター画面を先に進めている。英語がまどろっこしい。

ま「クリスティーナ、2枚分一緒に買ってくれる?」

ク「おっけー!じゃあ、2枚分ってことで、ラウンドトリップ(往復切符)にするわね。」

ええんかいな?という疑問が頭をよぎったが、なんせ時間がない。ブランドンからもらった5ドル札を2枚ねじ込み、階段を駆け上がると、電車にはなんとか間に合った!

グランドセントラルを彷彿させる木の感じの内装がなんとも素敵な駅だったのだが、堪能している時間がなくて残念だった。

席に落ち着き、息も整ってきた頃、車掌さんが切符をチェックしにやってきた。

車掌といっても、千手観音のような手さばきを披露し、鼻声で流れるようにしゃべる紳士ではない。体格がクリスティーナの倍はありそうな黒人のおじさんが、「Ticket(切符出せ)」とぼそっと言うだけである。

切符を差し出すクリスティーナ。

車「お前のは」(わたしに向けて)

ク「あ、わたしたちのチケットね、ラウンドトリップにしたの。ふたり分と同じ10ドル払ったのよ。」

車「でもこれはひとり分だ」

ク「えっでも10ドル払ったのよ」

車「よく見てみろ。ここ、ワンウェイ(片道切符)になってるだろ」

ま、ク「…(ほんとだ。なぜ…)」

切符には、片道1枚のみの文字と値段が表示されていた。なぜ…。確かに往復で買ったと思ったのに。

前のめりで説明するクリスティーナと、それをどっしりとした無表情で受け止める車掌さん。

車「なんと言おうが片道としか書いてないんだから、もうひとり分5ドルとペナルティー5ドル、合わせて10ドルを今ここで払えよ」

そもそも、やはり往復切符は大人片道2枚分の代わりにはならないらしい。

しゃーない。払うか。罰金がもっと高くなったりしたら嫌だし、何より捕まったらえらいこっちゃである。

しかし、財布を開けると、こんな日に限って1ドル札が1枚しか入っていなかった。なんだこれ。

ごめんよクリスティーナ、頼んだ!

ク「わたし、今日、お財布を持っていないのよ…」

え、財布すら?

ここへきて初めて焦りが。どうしよう、どうしよう。

と、メトロカード入れの奥の方から、非常用に詰め込んでおいて忘れていたくしゃくしゃの5ドル札を見つけた!!チャラッチャラ〜♪(ドラえもんの音と手)

…でも、まだペナルティ分が5ドル足りない。

女子のバッグの奥はブラックホールである。2年前にフランスに行ったときの地下鉄の回数券や、半年前に落としたはずのリップグロスがひょっこり出てきたりする。もう1枚くらいお札が出てこないかな。ごそごそ。でも、ないものはないのである。

おそらくチケット片道2枚のうちの1枚取り忘れてしまったのだろう。確認しなかったのがまずかった。

このとき既に、能面車掌モンスターを前にずっと格闘していたクリスティーナの戦闘力はゼロに近くなっていた。ここは、わたしが頑張らなければ。

ま「しっかり10ドル払ったんだよ。今撮影をしていたところで、プロダクションの人がくれた10ドルだったから証拠に電話してみてちょうだいよ」

能車「ノー」

必死で誠実さをアピールしているつもりだったけど、もう何を言ったかも覚えていない。とにかく、すべてがこの無表情と独特の’間’に吸収されてしまう。完敗だ。

すると、隣の席の中年の黒人女性と、2シート先に座っている中年のヒスパニック系女性が、「助けてあげる!」と救済の手(というかお財布)を高々と掲げた。おお!!!

能車「だめだ。絶対にだめだ。こいつらのことはこいつらにやらせろ。」

そんなこと言われても〜。わしらお金がないんです〜。

どうやら2シート先のヒスパニック系の女性は、本物のセキュリティガード(駅の警備員)でこの能面車掌と知り合いのようだ。

「知らなかったみたいだからしょうがないわよ」

「だってあーた、彼女たちお金ないって言ってるじゃない」

弁護に参戦してくれるふたり。でも、頑にそれを許さない能面車掌。

しかしながら、NHKの”どーもくん”やポンキッキのムックのほがらかさを彷彿させる彼からは、なんだか威圧的な怖い感じがしないことにも気づき始めていた。

クリスティーナがぼそっとつぶやく。

「彼も仕事だからしょうがないわよね…。」

まだ先の車両の乗客もチェックしなきゃいけないらしい。ゆっくりと、でもしっかりと太い声で、彼は初めてその口から3文以上の英語センテンスを発した。

車「いいか、お前たちは自分たちで金を見つけろよ。探せば見つかる。必ず見つかる。 わかったな。な?」

そして、ふたりの女性にちらっと目配せをして去っていった。すると隣の女性が、そうこなくっちゃ!といった表情で、小さく畳んだお札をにょきっと差し出してくれた。

女性「これ、もらっておきなさい。」

なんと、20ドル札ではないか。

これはもらいすぎ!いただけるとしても、5ドルで十分です。

女性「いいから、いいから。あなた困っているんでしょう。」

困っていますけど…。

恐縮したものの、とりあえずお金がないと困るので、御礼を言って有り難くこのお札を手元に置いておくことにした。

ク「たぶん、あの車掌さん、わたしたちを見過ごしてくれると思うわ。仕事だからああやって言うけどね。」

5分後、先頭から引き返してきた車掌さんが、強ばっている我々の隣にのっそりと座った。

車「(小声)いいかお前たち。今回は見過ごしてやろう。でもな、これは俺にとって簡単な決断じゃないんだぞ。ラウンドトリップはふたり分の乗車券にならないことだけ、今後よーく覚えておくんだよ。」

この話を聞いていたとき、ふたつの頭は赤べこのようにペコペコ縦に振れていたに違いない。こうして、我々は見逃してもらえたのである。

「ありがとう」と何度も言うと、車掌さんはコクッと小さくうなずいてゆっくり立ち上がり、のっそりのっそりと後方へ歩いていった。彼の表情は最後まで変わらなかった。

ほっとして気が抜けたへろへろ〜。

ク「Mahoさぁ、」

ん?

ク「説得しようとしてるとき、一気にflush(※)してたわよ。カメラがあれば良かったのに!だはーっはっはは。」(※顔が真っ赤になること)

そうだったかな。「女は感情的になると声が高くなるから、ピンチのときは声を低くして交渉しろ(とくに男とは)。」という強き母からの教えが胸にあったつもりだったけれど、反射的な身体反応は隠せないか。ノーメイクだから余計にか。

いやー、変な汗をかいた。今後は気をつけなければいけないね。

さて、ひと通り余韻を味わった後は、となりの黒人女性に御礼を言って20ドルをお返ししよう。しかし、なんと彼女はこう言ったのだ。

女性「いらないわよ。あなたキャッシュを全然持っていないんでしょう?それくらい持ってなさい。」

ま「えっ。でも悪いよ。」

女性「いいから、いいから。」

ま「…」

女性「いいのよ。困ったときはお互いさまでしょ。」

すると、クリスティーナがすかさず言った。

ク「でも、わかるわ。いいことをするのって、自分がいい気持ちになりたいからでもあるものね。あなたのやさしさのおかげで今日がとてもいい日になったわ。本当にどうもありがとう。」

女性「ノープロブレム。素敵な週末をね!!」

こうして我々は、無事にマンハッタンに帰ってこれたのであった。名前も知らない通りすがりの女性からもらった20ドルと、お金で買えない温かな気持ちを胸に。

今日だけで何回「Thank you」を言ったかな…と考えてほっこりしながら降車のために立ち上がると、クリスティーナが、

「みんな、ありがと〜う!」

と一部始終を見ていたと思われる乗客のみなさんに向かって大きく手を振る後ろ姿と、それに答える笑顔が見えた。

歌手がステージから退場するシーンを見ているようだと思った。

☆☆☆☆☆

今日のひと言英語。

You made my day.

「あなたのおかげで、今日1日がいい日になったわ。」

誰かがしてくれたことに対して、感謝の気持ちを伝えたいときに使おう。

広告